2006クリスマス祭りDVD鑑賞記(一回目)


 巷で話題の「チャームキッズ 2006X'mas祭り」、やっと入手したので、初見の感想をば。
(最初なんで、マジメな文章です)




 このDVD、三枚組となっているが、その内容は次のようになっている。


Disc 1 本番編(107分)
Disc 2 本番編&インタビュー編(96分)
Disc 3 メイキング編(86分)


 このうち、メイキング編のうち、20分近くの映像が、三つにわかれて、いもクラで公開済。


 これらのムービーについては、以下の記事を参考に。


 さて、そのメイキング編、つまりDisc3から鑑賞し始めた僕だが、大きな誤算があった。それは、


 本番が忙しい子たちは、メイキング編であまり活躍できない


という当たり前の事実。


 思えば「ケーパニ2」では、本編の撮影の合間やNGシーンを集めたものだから、主力がそのままメイキング編でも活躍しているのだが、本番の舞台裏が主である今回のクリスマス祭りメイキング編では、出番の多い子たちは、あまりカメラに映らなくなる。


 ということで、必然的にレッスン生(や出番の少ないレギュラー生)が中心となっているのが、このメイキング編。


 まず、注目すべきは、小学校高学年と中学年以下の違いだろう。中学年以下の子たちは、とにかく、カメラに群がる群がる。高学年の子だって、カメラに映ろうとするけれど、わんさかわんさか群れることはない。本番だって、中学年以下のレッスン生の多くは「みんなでがんばる」かもしれないけど、高学年の子たちとなると「わたしががんばらないと」という気持ちになっていく。


 こういう、それぞれの年代による意識の違いが、実は僕がメイキング編を最初に見て、一番楽しめることだった。


 もちろん、幼女趣味の普天間さん、打算的な知恵、舞踏病のあやか様、などなどそれぞれのキャラクターもぞんぶんに味わえる。
(ここらへんは、あとでレビューします)


 あと、いっぱい女の子が出てくると、どうしても誰かに注目してしまう。僕の場合は、あっきーこと一ノ瀬あきほ。先日のイベントでおいも屋に参加したとき、「あなたの推しの子は?」と言われて、ちょっと戸惑ったりもした。チャームキッズを愛するブログを書く者として、あんまりひいきの子に傾倒するのは良くないんじゃないかと思い、「誰それがいい!」とはあまり公言したくなかったのだ。


 しかし、メイキング編を見ると、人は正直になる。数多くのレッスン生、そのうちの何人かはまだ名前を知らなかったりするのだが、僕の目はカメラの片隅に映るあっきーを逃さず、あっきーのVサインに心震えるほどの喜びを見出すのである。こういうことを書くと「キモい」と我ながら思うのだが、純情少年気取るにはいささか年も取りすぎた。高らかに叫ぼう。あっきー万歳、と。


 さて、本番編も見た。演技Bクラスの「私達の反乱」まで鑑賞終了。


 火曜演技レッスンの「この場所から」はさておき、「私達の反乱」がどのような出来なのかは、他の人のレポートを読んでも、いまいちはかりかねるところがあった。しかし、この映像を見ると、ただの教訓的な寸劇ではなく、それぞれの子たちの個性も生かされた内容に仕上がっていた。特に、山中真由美古井みずきの二人の役割は大きい。個人的には、最近お気に入りのセイラさんが、もうちょっとうまくやってほしかったな、と思うところがある。


 ただ、見ていて疲れた。なぜ、疲れたのかというと、緊張したからである。どのような出来に仕上がっているか、期待よりも不安が上回っていたせいである。DVD見た僕でさえそうなのだから、実際に会場に足を運んだ人は、どっと疲れが押し寄せたのではなかったか。


 寸劇には悲劇と喜劇がある。ショートコントは今ではお笑い芸人の独壇場となっているが、そもそもコントだって寸劇に他ならない。ただ、違いはそれが「お客さんに笑ってもらうこと」を意図していることが、あらかじめわかっていること。だから、観客は気兼ねなく笑うことができる。


 以前、コメディアンの才能とは、ギャグセンス云々よりも、場をなごませる雰囲気を持つかどうか、と書いたことがあるが、そういう「今からギャグですよ」と観客にアピールできる力を持つことは、やはりすごい。そういう観客を引き寄せる吸引力を身につけることが、実は役者にとってもっとも大事なことであることを、今回のDVDを見ながら思った。


 この寸劇、それぞれ場をなごませる雰囲気を持つシーンも導入されたりしていて、見ている人に飽きさせない展開ができている。ただ、惜しむらくは観客の反応がついてこない。例えば、火曜演技レッスンの「この場所から」について、上杉まゆみは「ギャグに笑ってくれなかった」とネットラジオか何かでこぼしていたが、観客は「笑っていいのか」と思っていたに違いない。


 また、いずれも、起承転結の「転」の部分が弱かった。BGMもきわめて少なく、小道具もほとんど使わない、というきわめて「生」な演劇となったために、観客の気持ちの切り替えがうまくできなかったのではないか。そして、演劇においては「転」なくして感動を生むことはありえないのだな、とつくづく思った。


 しかし、こういうことを考えられたのは、チャームキッズのみんなが最後まで集中力を切らさずに演技ができた証拠。余計なあらさがしをすることなく、どういった寸劇が観客に受けるか、ということを考察できるのは、演技者が高い意欲をもってのぞんでいる証拠。ただ、その子たちの集中力に、観客はあてられたのかもしれない。


 スプリングフェスタの感想をいろいろ拝見してみると、この二つの寸劇以降のレポートが、やや散漫になっている。見ている側も疲れてしまったのだろう。合宿組→演技→演技、というプログラムは、失敗だった。「型」にはまらない寸劇を見るには集中力がいる。その合間に、ダンスを挿入して、観客の頭を空っぽにさせる必要があっただろう。加山・工藤コンビのダンスだって、何も考えなくても楽しめるから。


 もちろん、こういう失敗点は、何よりも主催者側が理解している。スプリングフェスタのプログラムに、それは見られるし、火曜演技レッスンの今度の寸劇では「チャンバラ」を取り入れているようだ。一度、観客に見せないとわからないことがある。その教訓をチャームキッズはしっかり生かしているようだ。


 まあ、今度が喜劇色の強いものであった場合、観客の笑いに演技者が引き込まれるという危険性がある。演ずる側が笑ってしまっては、その笑いも馴れ合いと化す。そういうことがないように、それぞれ集中力を保って、演技にのぞんでほしいものだ。

(しかし、たとえ、台詞をかんでも、最後まできっちりと続けたみんなは偉いと思う。心から拍手を送りたいです)